カラダの声を聴くというのは、2つの次元があると思うんです。
● カラダの言い分を聴き、現実レベルで対処するためもの
● 症状をメタファーとして捉え、その人の全存在を通じて「何が表現されようとしているの?」と、深層の流れに気づくためのもの。
前者は現代医学のあり方で、後者は東洋医学のあり方だと思います。
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もちろん骨折して痛いのなら「何が表現されようとしてるのだろうか?」なんて考えてないで、早く整形外科で修復してもらうべきですが(笑)
原因不明の皮膚の炎症が続くのであれば、
● 炎症が続いてつらいよね・・・少し保湿したり痒みや化膿を抑えてみようか? という現実的な対処と同時に
● 炎症を通じて、こんなにまでして表現したいものは何なのだろう?みたいなことに気づき変容していくことがすごく大切なんだと思います。
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なんでこんなことを書いたかというと、最近喉の奥になんか詰まったような違和感があったので、龍角散飲んだりしてたけど、新しい本のことで「僕の信じるものを、そのまま誠実に表現しよう!」と肚が決まった瞬間、症状が止まったり。
もちろん偶然かもしれないけど、大切なことはそれが正しいとか、科学的かではなく「もしそうだと仮定したら、症状というのが単なる忌み嫌うものじゃなくなる」という所に意味があると思うのです。
そんなことミンデルなんかがたくさん書いてるけど、そういう解釈でこの世界を見渡すと、何か見え方が変わってくるんです。
画像はブロッコリーの菜の花。美味しいです!